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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)7849号 判決 1969年10月08日

原告 小林恵子

右訴訟代理人弁護士 中川了滋

被告 東京急行電鉄株式会社

右代表者代表取締役 五島昇

右訴訟代理人弁護士 向山義人

同 猿山達郎

同 野村弘

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金三六万九六〇円およびこれに対する本訴状送達の翌日(昭和四三年七月二六日)から支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行宣言を求め、被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

原告訴訟代理人は請求の原因として次の通り述べた。

一、原告は通勤のため、昭和四二年三月一〇日田園都市線上野毛駅より乗車、自由ヶ丘駅で同会社東横線に乗り替え、渋谷方面行き(上り)電車にて同日午前八時二五分頃中目黒駅に着いたが、同駅では下車せず、そのまま渋谷駅に向う原告は二輛目の第六扉と第四扉の中間位にいたところ、満員の乗客が先を争って下車しようとしたため、その乗客の人波にまき込まれてホームに押し出されて転倒し、足を踏まれて左下腿腓骨皮下骨折の傷害を受けた。

二、本件事故は被告の過失行為により発生したものである。すなわち当日原告の乗車していた車輛は中目黒駅に至るまでに乗車定員をはるかに上廻る超満員の乗客があり、しかも中目黒駅では同一ホームの反対側に地下鉄日比谷線の電車輛が空車のまま開扉して待機している状況では、乗換えに際し、座席確保のため、先を争う客など甚だしい混乱が生ずることは、当然予想されていたにもかかわらず、被告に於ては誘導員の配置その他安全対策を何ら講ずることなく漫然とすごしていた過失により本件事故が生じた。

三、原告は本件事故により次のとおり総計金三六万九六〇円の損害を受けた。

(一)  治療費 金六、三六〇円(医療法人社団福島病院に昭和四二年三月一〇日から同月二一日まで入院、並びに同年四月一五日までの治療費金二、五六〇円並びに大東学園病院に同年四月一七日から八月八日までの通院治療費金三、八〇〇円)

(二)  交通費 金一万四、八四〇円(通院交通費タクシー代金五、一六〇円並びに通勤時等の交通費金九、六八〇円)

(三)  給料等減収分 金三万六、七六〇円((イ)昭和四二年三月一〇日から同年五月八日まで欠勤した減額分金八、一二〇円、同夏期手当減額分金七、二〇〇円、(ロ)右欠勤中一二日分は有給休暇のとり扱いになったので、その補償として、一日金一、一二〇円の割合による合計金一三、四四〇円、(ハ)時間外手当として毎月金三、〇〇〇円ないし四、〇〇〇円が支給されていたが、本件事故後、三ヶ月は残業が不可能になったので、その補償金八、〇〇〇円)。

(四)  雑費 金三、〇〇〇円(サポーター、電話料、その他入院中の諸雑費一日金一〇〇円の割合による一ヶ月分)。

(五)  慰藉料 金三〇万円(原告は年令三〇才の独身女性であり、本件事故前は健康な勤労者として毎日を楽しく通勤していたものであるところ、前記傷害を受けて原告の蒙った肉体的、精神的な苦痛は大変なものである。しかも現在なお雨天や寒い日には左足首に鈍痛を覚える後遺症に悩まされている。従って、これに対する慰藉料として右金額が相当である)

四、そこで原告は損害賠償金参拾六万九百六拾円およびこれに対する本訴状送達の翌日(昭和四三年七月二六日)から支払ずみにいたるまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告訴訟代理人は、答弁として、請求原因第一項については、田園都市線及び東横線が被告会社の経営にかかること、同日東横線中目黒駅上り線ホームで原告が横転した事故が発生したことは認めるが、本件事故の発生は同日午前八時二七分頃であり、その余の事実については不知と述べた。

同第二項については当日本件事故が発生する直前東横線上り電車が中目黒駅に停車した際ホーム反対側に地下鉄日比谷線電車が開扉した状態で停車していたこと、定員を上廻る乗客があったことを認め、その余を否認する、同第三項については不知、右地下鉄線電車はそのとき既に座席は塞がっていて、本件列車から早く降りても座席を確保できる状態ではなかった。なお、被告としては、本件列車の車掌をして、車内放送により中目黒駅到着の際は「順序よく、押しあわずに降車されたい。扉附近の乗客は一度下車した後に乗車されたい」旨を放送して乗客の安全対策につき十分注意を払い、かつ、本件事故発生当時中目黒駅本件ホームに六名の従業員を客扱い係として配置し、本件列車到着時、原告の乗った車輛第二扉附近に位置して待機していた同駅長は第六、第二各扉附近の乗降客の動静に十分注意を払い、事故防止に万全の措置を講じたのであり、むしろ、かかるラッシュ時には乗客たる原告において事故廻避につとめる義務がある。

証拠≪省略≫

理由

一、原告が昭和四二年三月一〇日午前八時二五分頃(被告主張によると同二七分頃)、被告経営の東横線中目黒駅上り線ホームにおいて転倒し、負傷した点については原被告間に争いはない。

二、ところで原告は本件事故は被告が当然乗客の混乱が予想されたにかかわらず何ら安全対策を講じなかった過失により惹起されたと主張するのでその点について判断する。

当日、原告が乗車していた東横線上り電車が乗車定員を上廻っていたこと、同電車が中目黒駅上り線ホームに到着した際、その反対側に地下鉄日比谷線電車が開扉して待機していたことについては原被告間に争いはないが、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  原告は東京都世田谷区玉川上野毛町の自宅から都内神田に所在する会社に通勤している当時三〇才の独身女性であるが、その通勤経路は田園都市線上野毛駅より乗車、自由ヶ丘駅にて東横線へ乗替え、渋谷駅より国電に乗り継ぐを常としていた。本件事故当時、原告は五輛編成のうち、前から二輛目の第六扉と第四扉の中間附近に立っていたが車内は定員の約二〇〇パーセントの乗客で、いわゆる冬期の着ぶくれも原因して殆んど身動きもできない状態のまま中目黒駅上り線ホームに到着したところ、同ホーム反対側に開扉して待機している地下鉄日比谷線に乗替えを急ぐ乗客のため、甚だしく混雑し、本来、同駅で下車する必要のない原告まで後方より押し出され、足もとを掬われてホーム上に転倒したところを、後続の乗客に足を蹂まれるなどして負傷した。

そして、右当日、特に混雑を極めたというものではなく冬期の週日午前八時から同八時三〇分までのいわゆるラッシュ時における同駅の混雑状態は右とほぼ同様であった。

中目黒駅では、本件以外に、本年一月車輛の硝子破損による後頭部負傷(治療三週間)、同年三月同種事故による腕負傷(治療一〇日間)、五月ドアに腕を狭まれた事故があり、些細なものは月平均一件程度がある。

(二)  他方、被告会社は、混雑に伴う事故防止のため、作業規準や内規を設けて中目黒駅職員定数三九名中八名をラッシュ時間帯における旅客整理にあてており、列車の到着毎に各係員が車輛の扉附近にいて降客の転倒防止、乗遅れ客の尻押しなど、また発車間ぎわの飛乗り、押合い、ホームの走駆など危険行為の制止、整列乗車の指導をする一方電車内放送においても次の到着駅名を案内すると共に乗降時に押し合わないこと、入口附近の客は一旦下車して、降車客のすんだのち、再乗車するよう勧めており、本件事故当時においても駅長を含む八名が前記職務に従事していたし、車掌も右放送を励行した。

そして、中目黒駅における前記配置人員は、乗降客数、施設が同程度の他の駅におけるそれとほぼ同様である。

以上の事実が認められ、他に同認定に反する証拠はない。

三、そこで、考えるに、東京、大阪などの大都市とその周辺地区における交通の混雑、殊に通勤ラッシュと呼ばれる時間帯におけるその混雑は筆舌に尽し難いものがあり、その緩和については為政者はもちろん、その衝に当る運送事業者においても重大な決意と責任をもってこれに当るべく、その未達成の過程にあっても混雑の故に惹起されるような事故の防止には最大限の努力を払うべきである。しかしながら右の責任は主として当該企業の公共性、社会性からくるものであって、これと具体的な事故に対する運送会社の法律的責任とは自から別異の観点から検討しなければならないこと勿論である。

そして、本件事故につき被告の法律的責任をみるに、前記認定事実に照すと、原告は中目黒駅に到着した電車の乗客に押されて、ホーム上に転倒し、負傷したものであって、これにつき被告の直接的責任を認めることはできない。それならば、工作物設置、管理者としての責任はいかんというに、原告の本件受傷は右のごとく、例えばホームの窪みに躓くとか車輛の欠陥によるなど電車の駅等運送手段ないしその補助施設に関する瑕疵に帰因するものでもないからこれを肯認し難い。

しかも、現在の一般的社会経済事情並びに交通状態のもとでは被告が現に行っているところの、前記認定のごとき係員八名によるホームの旅客整理、車内放送などでは、本件類似の事故防止措置として必ずしも不十分であるとはいえない。

四、従って、本件事故が被告の義務懈怠に基づくものとしてなされた本件損害賠償請求は損害額の立証に入るまでもなく、その原因において、これを被告の責に帰すべきものとは認め難いので、本訴請求はこの点においてすでに理由がなく、失当として棄却すべきものである。

よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 牧山市治)

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